こんにちは。国語科の高倉です。いきなりですが、東大の問題は、面白い!! この面白さを是非ともみなさんと共有したいと思い、ブログを書いています。早速問題を解いてみましょう。2025年度東京大学の古文の問題です。
次の文章は『撰集抄』の一話である。これを読んで、後の設問に答えよ。
昔、御室戸の法印隆明といふ、やんごとなき智者、もろこしに渡り給はんとて、西の国におもむきて、播磨の明石といふ所になん住みていまそかりけるに、あさましくやつれたる僧の、来たりて物を乞ふ侍り。さながら赤裸にて、ゑのこを脇に抱き侍り。人、後先に立ちて、笑ひなぶりける。あやしの者やと思して見給へば、清水寺の宝日上人にていまそかりける。ひが目にやとよく見給へど、さながらまがふべくもあらざりければ、かきくらさるる心地して、伏しまろびて、「あれはめづらかなるわざかな」とのたまはせければ、上人ほほゑみて、「まことに物に狂ひ侍るなり」とて、走り出で給ふめるを、人あまたして、取りとどめ奉らんとし侍りけれども、さばかり木暗き繁みが中に入り給ひぬれば、力なくやみ侍りけり。
問 太線部「かきくらさるる心地」とは何に対するどのような心情か、説明せよ。
太線部に至るまでの内容はつかめましたか? 法印隆明という高僧が、嘲笑されているみすぼらしい僧を見て、それが清水寺の上人であると気付いたという内容です。太線部を確認すると、「かきくらす」は基本単語で「空を暗くする・心を暗くする」といったマイナスイメージの言葉です。法印は何に対してどのようなマイナスの心情を頂いたのでしょうか?
心情は原則として状況と連動して発生します。したがって傍線部の直前の状況、つまりみすぼらしく、嘲笑されている僧が宝日上人であることに気づいたという状況をふまえると、次の心情が導かれるでしょう。
① 嘲笑されているみすぼらしい上人が、宝日上人だったことに対する悲しみ。
ただ、考えられる心情はこれだけでしょうか? 着目してほしいのは、法印については冒頭で「やんごとなき智者」とあります。法印自身が高僧であるのにも関わらず、僧を見てすぐには宝日上人という立派な僧だと気付けなかったわけです。ということは、傍線部における心情は自らの人物眼のなさに落胆する気持ちと解し、
② 僧が宝日上人だとすぐには気づけなかった自身への、がっかりする心情。
とも読めるのではないでしょうか? いったい、どちらの解釈が適切でしょうか?
実は心情は、状況から連動して発生するとともに、ある行動や反応として現れるのが一般的です。つまり、かきくらす心地になった智者が、その後どのような行動や反応を示したか、をふまえ、最適解を抽出するのです。
さて、傍線部直後の智者のセリフ「あれはめづらかなるわざかな」は何に対する言及でしょうか?「めづらかなる」は「すばらしい」とも「ひどい」とも解釈できる語なので、ここでは確定的な解釈はできません。ならばさらに後ろを見ると、宝日上人が「まことに物に狂ひ侍るなり」と述べています。ここがポイント!「本当に狂気じみている」のは明らかに僧自身のあり様です。ということは直前の法印のセリフ「あれはめづらかなるわざかな」も、僧が嘲られている様子に対して「あれはひどい様子」と述べていることになります。
ということは、傍線部における法印の心情は自身に対してではなく、僧に向けられたものと解釈できます。解答は①「嘲笑されているみすぼらしい上人が、宝日上人だったことに対する悲しみ。」で決まりです。こんなにも立派な僧がみすぼらしい姿で嘲笑されているなんて、、、という悲しみですね。
このように、特定の部分に対して、一度は複数の解釈を許しつつも、続く内容から最適解を一つに絞っていく。これこそが東大国語の醍醐味です! 東大の問題は、現代文でも漢文でもこのような思考を要求する問題がふんだんに盛り込まれています。だからとっても面白いのです!
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